不動産鑑定士は賃料改定の相談を受けたとき、まず「賃料差額」を確認します
不動産鑑定士として賃料改定、いわゆる「これまでの賃料水準を見直したい」という相談を受けた場合、私はいきなり「いくらが妥当か」という結論から考えることはしません。最初に必ず確認するのが「賃料差額」です。
賃料改定の相談では「周辺相場が上がっている」「長年据え置きだからそろそろ見直したい」「借主(貸主)が納得しない」といった事情が語られることが多いのですが、これらはすべて「理由」であって、「出発点」ではありません。出発点を誤るとその後どれだけ説明を積み上げても、話は感情論に引きずられてしまいます。
実務上も、裁判や調停、交渉の場面では「なぜ賃料を動かす必要があるのか」が必ず問われます。その問いに対して感覚や印象ではなく、賃料差額という客観的な切り口から説明できるかどうかが賃料改定全体の説得力を大きく左右します。
賃料差額とは何か|「高い・安い」という感覚を数値に置き換える考え方
賃料改定の場面で使われる「賃料差額」という言葉は、専門家以外には少し分かりにくいかもしれません。しかし、この概念を正しく理解できるかどうかで、賃料改定の議論が整理できるかが決まると言っても過言ではありません。
賃料差額とは、簡単に言えば
- 「実際に支払われている賃料(実際賃料 / 現行賃料)」と
- 「その時点の市場環境を前提にした場合に想定される賃料(正常賃料 / 適正賃料)」
との差です。
ここで重要なのは「いくらにしたいか」という希望額ではなく、「合理的に説明できる賃料水準はいくらか」を基準に差を測る点にあります。つまり、この差がどの程度存在するのか、そもそも差が存在すると言える状況なのかを冷静に確認しなければ、賃料改定の是非そのものを判断することができません。
というのも、賃料改定の相談では「今の賃料は安すぎる」「いや、高すぎる」といった言葉が頻繁に出てきますが、この“高い・安い”という表現は、人の立場や感情によって簡単に変わってしまいます。
貸主にとっては安く感じ、借主にとっては十分高いと感じることも珍しくありません。そのまま議論を続けると、話は必ず平行線になります。
そこで、不動産鑑定士は一度その感覚的な評価を脇に置き、その時点の賃料水準(実際賃料 / 現行賃料)と、その時点の経済状況・不動産市場を前提とした賃料水準(正常賃料 / 適正賃料)との差を、客観的に整理します。
この差が明確になって初めて「なぜ改定が必要なのか」「本当に改定する必要があるのか」という議論に進むことができます。
また、賃料差額は「必ず存在するもの」ではありません。調査の結果、その時点の賃料が市場水準と大きく乖離していない場合もあります。その場合だと「賃料改定そのものに慎重であるべき」という結論に至ることもあります。
賃料差額を確認するという行為は、賃料を上げるための作業ではなく、改定の必要性そのものを見極めるための作業なのです。
このように、賃料差額は賃料改定の「結論」ではなく「判断の出発点」という位置づけになります。ここを曖昧にしたまま次の議論に進むと、後になって理由づけが苦しくなり、当事者双方にとって納得感のない結果になりやすくなります。
新規賃料と継続賃料は同じ「賃料」でも性質がまったく異なります
賃料改定を考えるうえで、必ず整理しておかなければならないのが、「新規賃料」と「継続賃料」の違いです。
どちらも同じ“賃料”という言葉を使いますが、前提条件も、評価の考え方も、実務上の扱いも大きく異なります。この違いを曖昧にしたまま賃料改定の議論を始めると、途中で話が噛み合わなくなります。
新規賃料とは「これから契約する人」の賃料
新規賃料とは、これから新たに賃貸借契約を締結する場合に想定される賃料水準を指します。周辺相場や募集事例、需給関係など、その時点の市場環境が強く反映されます。
言い換えれば、新規賃料は「白紙の状態から決まる賃料」であり、先ほど賃料差額の説明で出てきた「その時点の経済状況・不動産市場を前提とした賃料水準(正常賃料 / 適正賃料)」のことです。
新規で入居する借主は、過去の経緯に縛られることなく、条件が合わなければ契約しないという選択もできます。そのため、新規賃料は市場の影響を受けやすく、上昇局面では上がりやすく、下落局面では下がりやすい性質を持っています。
継続賃料とは「すでに続いている契約」の賃料
一方、継続賃料は、すでに賃貸借関係が継続している中で成立している賃料です。ここにはその時点の市場環境だけでなく、過去の契約条件、交渉経緯、信頼関係、利用状況など、時間の積み重ねによる要素が含まれています。
継続賃料は、単純に「今の相場に合わせればよい」というものではありません。市場が変動していても、賃貸借関係が安定的に継続している場合、その安定性自体が価値として評価される場面もあります。
この点を無視して新規賃料と同一視してしまうと、借主側にとっても、貸主側にとっても納得しにくい結果になりがちです。
別の言い方をすれば、実際に支払わている今の賃料は、貸主・借主とも合意のうえ決定したものです。割高感・割安感があったとしても双方が納得して決定した賃料ですから、これを全く無視していきなり新規賃料(正常賃料 / 適正賃料)の水準に改定するのはよろしくないということです。
両者を混同すると賃料改定は必ず行き詰まります
不動産鑑定の立場から見ると、新規賃料と継続賃料はスタートラインが違います。だからこそ、賃料改定の場面ではいきなり新規賃料を基準に結論を出すのではなく、まず両者の性質の違いを整理し、そのうえで「どの程度の差が、どのような理由で生じているのか」を検討する必要があります。
この違いを理解しているかどうかで、賃料改定の議論は対立的なものにも建設的なものにもなります。
なぜほかの鑑定手法でなく、賃料差額を先に確認するのか
不動産鑑定評価には、賃料改定を目的とした手法が複数存在します。先に説明した賃料差額をベースにした差額配分法のほか、利回り法、スライド法、賃貸事例比較法は、不動産鑑定に関わる方であれば一度は耳にしたことがあるはずです。
しかし、すでに継続している賃貸借契約の賃料を見直す(改定する)場面において、” まず ” 賃料差額を確認するのでしょうか。
利回り法の限界
利回り法は、不動産価格に一定の利回りを乗じて賃料を求める考え方です(厳密に説明するなら「価格時点における基礎価格に、直近合意時点における実績純賃料利回りを基に査定した継続賃料利回りを乗じ、価格時点における必要諸経費等を加算して、利回り法による試算賃料を求める」手法です)。
不動産投資の世界では馴染み深い手法ですが、賃料改定の場面では注意が必要です。
なぜなら、利回り法における利回り(継続賃料利回り)は、継続賃料利回りについては、土地や建物の価格(基礎価格)の変動が著しい時期において直近合意時点の純賃料利回りをそのまま採用すると、基礎価格変動率分がそのまま反映された賃料が求められてしまうこととなるからです。
つまり、土地や建物の価格が大幅に上がった(下がった)としても、賃料水準はそれと同じ程度で変動したりしないものです(土地価格が2倍になったとしても、賃料水準は同じ2倍になったりしません)。これを専門的には「賃料の粘着性」といいます。
そのため、不動産価格に乗じる利回りについては、継続賃料固有の要因に留意して一定程度の補修正を検討する必要があります(専門的には「正常賃料を求める際の期待利回り、基礎価格の変動の程度、同一需給圏内の代替競争不動産の賃貸借等の事例における利回り」等を総合的に比較考量して求めることとされています)。
このように、「これまでの賃料水準を見直したい」という賃料改定の相談を受けた場合にまず手掛けるには、利回り法は時間や手間がかかりすぎるので「優先しない」というわけです。
スライド法の限界
スライド法は、過去の賃料を基準に、物価指数や地価変動率などを用いて賃料を調整する方法です(厳密に説明するなら「現行賃料を定めた直近合意時点における純賃料に、価格時点までの経済事情等に伴う変動率を乗じて得た額に、価格時点における必要諸経費等を加算して試算賃料を求める」手法と規定されています)。一見すると、継続賃料との相性が良さそうに見えますが、実務では万能ではありません。
というのも、スライド法は、過去から現在までの変動を機械的に反映する性質があります。そのため、市場環境や物件の個別性、賃貸借関係の実態と乖離した数値が出ることもあります。
特に、長期間賃料が据え置かれているケースでは、「なぜその指数を使うのか」「それが現在の実態を本当に表しているのか」という点が問題になりやすく、説明が難しくなることがあります。
また、スライド法は、これまでの賃料水準に割高感・割安感といった歪みがないことを前提とした手法です。つまり、既存賃料の歪みを補修正する段階が規定されておらず、正常賃料水準を直接反映できないという手法の限界があります。
賃貸事例比較法の限界
賃貸事例比較法は、周辺の賃貸事例と比較して賃料を求める方法です。市場性を反映しやすく、直感的にも理解しやすい手法ですが、継続賃料を見直す賃料改定の場面では慎重な扱いが求められます。
新規賃料と継続賃料の性質が異なることは先で述べたとおりです。市場でオープン化される事例データは、そのほとんどが新規に賃貸借契約を締結することを前提としたものというのが現実で、賃貸事例比較法はどうしても新規契約の事例に引きずられやすくなります。
その結果「新規募集ではこの水準だから」という説明に偏り、継続賃料としての合理性を十分に説明できないケースが生じます。
したがって、実務においても、賃貸借契約の継続を前提とした事例の契約内容及び契約締結の経緯等という賃貸借当事者間の個別的な事情の把握が困難で、規範性がある事例の収集や比較検討は困難というのがほとんどです。
まず賃料差額を確認する理由|差額配分法を重視する理由
これに対して、差額配分法は「現在の賃料と、合理的に想定される賃料との差」に着目します。いきなり賃料水準そのものを決めにいくのではなく、まず差額を明らかにし、その差がどのような理由で生じているのかを整理する考え方です(厳密に説明するなら「価格時点における対象不動産の経済価値に即応した適正な実質賃料相当額と実際実質賃料との間に発生している賃料差額について、契約の内容・契約締結の経緯等を総合的に勘案して、当該差額のうち賃貸人に帰属する部分を適切に判定して得た額を実際実質賃料に加減して試算賃料を求める」手法です)。
この手法の特徴は、すでに成立している賃貸借関係を尊重しつつ、市場環境や経済条件の変化を段階的に反映させることができます。
ですので「これまでの賃料水準を見直したい」という賃料改定の相談を受けた場合、①まずその必要性はあるのか、②改定の必要性があるとしたら、それはどの程度か、を比較的早く(手間なく)確認することができます。
そのため、貸主・借主の双方にとって「なぜこの金額になるのか」を説明しやすく、合意形成につながりやすいという実務上の利点があります。
賃料改定で本当に大切なこと
ここまで賃料改定において不動産鑑定士がどのような順序で考え、なぜ賃料差額を起点とするのかを説明してきました。最後にお伝えしたいのは、賃料改定で本当に大切なのは「正しい賃料を出すこと」そのものではない、という点です。
賃料改定の現場では「いくらが適正か」という問いが必ず出てきます。しかし実務を重ねるほど、この問いだけでは不十分だと感じるようになります。なぜなら、賃料改定は計算問題ではなく、人と人との合意形成だからです。
賃料改定は「説明責任」が問われる場面です
賃料改定が問題になる場面では、多くの場合、相手方は現状の賃料に一定の理由や納得感を持っています。貸主であれば「この賃料では維持が難しい」と感じ、借主であれば「これまで問題なく支払ってきた」という意識があります。
その状況で一方的に「この金額が適正です」と示しても、相手が納得することはほとんどありません。重要なのは、その金額に至るまでの考え方が第三者にも説明できるかどうかです。
裁判や調停の場面でなくとも、「なぜ今、賃料を見直す必要があるのか」を言葉で説明できなければ話は前に進みません。
感情論を排除するための「賃料差額」という視点
賃料差額を起点に考える意義はここにあります。いきなり結論の金額を提示するのではなく「現在の賃料と、現在の状況を前提にした場合の賃料との間にどの程度の差があるのか」という整理から始めることで、議論を感情論から切り離すことができます。
差が小さいのであれば、賃料改定に慎重であるべき理由が見えてきます。一方、差が大きいのであれば「なぜここまで乖離したのか」という説明を積み上げる必要があります。賃料差額は、賃料を上げたり下げたりするための道具ではなく、賃料改定の必要性を冷静に判断するための尺度なのです。
「納得できる賃料」は一つではありません
もう一つ、実務で強く感じるのは「正解となる賃料は一つではない」という点です。市場環境、物件の個別性、賃貸借関係の経緯をどう評価するかによって、合理的と考えられる賃料の幅はある程度存在します(私はよく「ストライクゾーン」というワードを多用します)。
だからこそ、賃料改定では「この金額しかあり得ない」という姿勢よりも、「この範囲であれば合理的に説明できる」という考え方のほうが現実的です。差額配分法は、その幅を意識しながら説明を組み立てることができる点で賃料改定の実務に適しています。
専門家に相談する意味
賃料改定は金額だけを見れば単純に見えるかもしれません。しかし、実際には法的な枠組み、市場動向、過去の経緯、当事者の関係性が複雑に絡み合っています。どれか一つだけを強調すると、説明として歪みが生じます。
不動産鑑定士が関与する意義は、特定の立場に寄り過ぎることなく、第三者の視点で賃料改定の「筋」を整理する点にあります。賃料をいくらにするか以前に、「なぜその話が出ているのか」「どこに無理があるのか」を言語化すること自体が賃料改定を前に進める力になります。
もし賃料改定を検討しているのであれば、まずは「いくらにしたいか」を考える前に、「今の賃料は現在の状況と比べてどの位置にあるのか」を整理してみてください。その視点を持つだけでも賃料改定の議論は大きく変わります。
賃料改定とは、対立を深めるための作業ではなく、現実を整理し、納得できる落としどころを探るための作業です。そのための第一歩が賃料差額を正しく捉えることなのです。
ご相談がございましたら、弊社の方へお気軽にお問い合わせください。
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