差額賃料の「3年分」は、なぜ借家権価格とは言えないのか
建物の立退きや明渡しを巡る場面で、「借家権価格は差額賃料の3年分程度です」と説明されることがあります。
数字として分かりやすく、計算も容易なため、実務の現場ではよく耳にする表現です。
しかし、不動産鑑定評価の観点から見ると、この説明は慎重に扱う必要があります。
なぜなら、「差額賃料の3年分」という数字は、借家権価格そのものを示しているわけではなく、別の考え方から導かれた数字だからです。
まず「差額賃料」とは何を意味しているのか
差額賃料とは、新たに賃貸すると仮定した場合の賃料と、現に支払われている継続賃料との差を指します。
賃貸借関係が長期間にわたって継続すると、賃料改定の経緯や市場環境の変化により、この差が生じることは珍しくありません。
この差額賃料は、借家人がその建物を借り続けていることによって享受している経済的利益を、最も端的に表す要素の一つです。
ただし重要なのは、差額賃料そのものが借家権価格なのではなく、借家権価格が存在していることを示す現れの一つにすぎない、という点です。
具体的な数値で考えてみます
例えば、新規賃料が月15万円、現行の支払賃料が月10万円であったとします。この場合、差額賃料は月5万円です。
ここから、
5万円 × 12か月 × 3年 = 180万円
という計算が行われ、「借家権価格は180万円程度」という説明がなされることがあります。
計算としては間違っていませんが、この時点で一つの疑問が残ります。なぜ3年なのか、という点です。
「3年」という期間はどこから出てきた数字なのか
この「3年」という期間は、不動産鑑定評価において借家権価格の期間として定められているものではありません。
多くの場合、その根拠となっているのは、公共用地取得などの場面で用いられる損失補償の考え方です。
損失補償の場面では、転居によって新たに生じる家賃負担を一定期間補うという発想が採られています。
その際の補償期間として、2年から4年程度、実務上は3年程度が用いられることが多く、この数字がそのまま借家権価格の議論に持ち込まれているケースが見受けられます。
しかし、ここで補償されているのは転居後に発生する家賃負担という「費用」です。借家権価格として問題となるのは、これとは性質の異なる「権利」の価値です。
借家権価格で本来検討すべき「一定期間」とは
借家権価格を差額賃料から考える場合、最も重要になるのが「一定期間」をどう捉えるかです。
この一定期間とは、あらかじめ画一的に決められた年数ではありません。
本来問うべきなのは、もし明渡しの話がなければ、その借家人はどの程度の期間、その建物を使用し続けていたと考えられるのか、という点です。
過去に長期間にわたり賃貸借関係が安定的に継続してきた事実がある場合、その関係が将来においても相当期間継続したと考えるのは自然です。
また、建物に経済的残存耐用年数が残っているのであれば、その年数を一つの上限として、使用継続期間を考えることにも合理性があります。
実務上、借家権価格の評価において採用されている期間を見ると、10年程度を下限として、20年、30年といった期間が用いられている例も少なくありません。
重要なのは、短期で区切ることではなく、当該賃貸借関係が本来どこまで継続し得たのかを個別事情に即して検討することです。
なぜ「3年固定」という考え方が不自然なのか
差額賃料は、長期の賃貸借関係の結果として、現在生じているものです。その差は、明渡しがなければ将来も継続していた可能性が高いと考えるのが自然です。
それにもかかわらず、「差額賃料は3年で終わる」と前提するのは、将来の継続性をほとんど考慮していないことになります。これは、鑑定評価における基本的な思考プロセスと整合しません。
収益を将来にわたって評価する他の鑑定評価手法においても、継続期間を無視して価格を求めることはありません。
借家権価格においても同様に、差額賃料という経済的利益がどの程度の期間続くのかを検討した上で評価する必要があります。
費用の補填と権利の価格は同じではありません
ここで改めて整理しておきたいのは、「費用」と「権利」の違いです。
転居後の家賃負担を一定期間補うという考え方は、生活や事業を円滑に再建するための費用補填としては合理性があります。
しかし、それはあくまで一時的な支出への対応です。
一方、借家権価格は、長期にわたる賃貸借関係の中で形成されてきた経済的価値であり、権利の消失に伴って問題となるものです。
算式が似ているからといって、両者を同一視することはできません。
なぜ「差額賃料3年分」という説明が広まったのか
この説明が実務で広く使われている理由は明確です。計算が簡単で、説明しやすく、交渉を早くまとめやすいからです。
しかし、説明のしやすさと、評価としての妥当性は別問題です。
前提となる考え方を整理しないまま数字だけが用いられると、後になって「その数字は何を意味していたのか」という問題が表面化しやすくなります。
まとめ
差額賃料の3年分という数字は、特定の補償の場面では意味を持つことがあります。しかし、それをそのまま借家権価格とすることはできません。
借家権価格とは、長期にわたる賃貸借関係の中で形成された権利の価値であり、短期間の費用補填とは性質が異なります。
重要なのは、差額賃料の大きさだけでなく、その差がどれほどの期間にわたって継続すると考えられるのかを、個別事情に即して検討することです。
この整理を行うことで、立退きや明渡しを巡る議論は、感覚論ではなく、理屈に基づいたものになります。
【 鑑定評価が必要になる典型的な場面 】
実務上、借家権価格の考え方が問題になるのは、当事者間の話し合いだけで解決しにくい局面です。
例えば、賃貸人から建物の明渡しを求められ、立退料の水準について見解が大きく食い違っている場合や、「差額賃料の数年分」という説明に納得できないまま交渉が進んでいる場合がこれに当たります。
また、訴訟や調停、弁護士を介した交渉の場面では、感覚的な説明ではなく、どのような前提で、どの期間を想定して評価したのかが明確に示されていることが重要になります。
このような場面では、差額賃料の大小だけで結論を出すのではなく、賃貸借関係の経過や建物の状況を踏まえた鑑定評価によって整理することが、無用な対立を避けるうえで有効になるケースが少なくありません。
借家権価格についてご相談がございましたら、弊社の方へお気軽にお問い合わせください。
https://mura-kan.net/