相続税対策としてアパートや賃貸住宅を建て、「貸家建付地(かしやたてつけち)」として土地評価を下げる方法は、広く知られています。
しかし実務の現場では、「確かに貸しているはずなのに、評価減が認められない」というケースが少なからず発生しています。
この食い違いが生じる最大の理由は、貸家建付地の評価減が“建物の存在”ではなく、“賃借権の実在”を前提にしている点にあります。
言い換えれば、「人が住んでいる」「お金が振り込まれている」という事実だけでは足りず、その賃貸関係が第三者から見て客観的に説明できるかどうかが問われているのです。
税務の世界では、土地と建物は別々に評価されます。土地については、賃貸されていることによって所有者の自由な利用が制限されるため、自用地よりも利用価値が劣ると考えられます。
この制限の根拠となるのが賃借権であり、その存在を前提に「貸家建付地」として評価減が行われます。評価額は、自用地価格から一定の算式による控除を行うことで算定されますが、ここで重要なのは、控除の根拠があくまで“賃借権の存在”にあるという点です。
一方、不動産鑑定評価では、この点がさらに厳密に扱われます。鑑定評価においては、賃借権は土地だけ、建物だけに付着するものではなく、「貸家及びその敷地」という不動産全体に対して設定されている権利として捉えられます。
そのため、評価類型を決める段階で、「本当に賃借権が存在しているのか」を確認する必要があります。
ここで問題になるのが、「実態として貸している」という感覚と、「客観的に権利が存在すると証明できるか」という評価上の要請のズレです。
実際にあった事例として、土地と建物が同一所有者に帰属し、知人に貸し出されている不動産の評価を依頼されたことがあります。外形的には居住者がおり、毎月一定額の金銭も振り込まれていました。表面的には、いかにも貸家に見える状態です。
しかし詳細を確認すると、賃貸借契約書は作成されておらず、領収書もなく、賃料額の決定根拠も口約束に過ぎませんでした。当事者同士は納得しているものの、第三者が見たときに、その関係が「賃貸借」であると断定できる資料は何一つ存在しなかったのです。
不動産鑑定評価では、単に人が住んでいるという事実だけで賃借権の存在を認めることはできません。賃貸借の対抗要件の有無とは別に、その権利内容を確認できる資料が求められます。
賃料の額、支払方法、契約期間、更新の有無など、権利の輪郭が客観的に把握できなければ、「貸家及びその敷地」という評価類型を採ることはできません。
その結果、このケースでは「自用の建物及びその敷地」として評価せざるを得ず、相続税評価上の減額効果は見込めないという結論になりました。
税務申告の実務では、必ずしも鑑定評価と同じ厳密さで判断されるとは限りません。税務署は、賃貸借契約書の有無だけで即座に否認するのではなく、不動産所得としての申告状況や、継続的な賃料収入の有無などを含め、総合的に判断する傾向があります。そのため、契約書がない場合でも、直ちに貸家建付地としての評価が否定されるとは言い切れません。
しかし、問題は税務署から疑義が呈された後です。その段階で、賃貸関係を合理的に説明できる資料が何もなければ、評価減の正当性を裏付けることは極めて困難になります。「貸していたつもりだった」という説明だけでは、制度上の評価減を支えるには不十分なのです。
相続税対策として貸家建付地の評価減を狙うのであれば、重要なのは建物を建てること自体ではありません。賃借権が客観的に存在している状態を、いつでも第三者に説明できる形で残しておくことです。賃貸借契約書を作成するという行為は、そのための最も基本的で、かつ効果的な手段と言えます。
紙一枚の契約書があるかどうかで、相続税評価が大きく変わるだけでなく、その後の相続、売却、権利関係整理にまで影響が及ぶことがあります。貸しているという「感覚」ではなく、貸していることを「証明できる状態」にしておく。この違いこそが、貸家建付地評価の成否を分ける本質なのです。